2020年 招福祈願!隅田川七福神

2020年(令和2年)お正月、といえば、「七福神めぐり」です。

 

2017年に亀戸七福神、2018年に日本橋七福神、2019年に深川七福神、そして今年、2020年は隅田川七福神めぐりで、4年連続で「開運・招福」の祈願を「七福神めぐり」で行ってます。

 

お正月になると、年賀状やカレンダーで七福神の神様を目にすることが多いですが、どのような神様なのか、あまり知られてないようです。七福神の神様は、日本だけの神様でなくて、インド・中国・日本の様々の神々で構成されてます。

 

「七福神の神様のルーツは?、なぜ、七福神なの?」を、以下、調べてみました。

 

まず、七福神のルーツは、日本では、古くから神仏習合の歴史があるため、弁財天(べんざいてん)、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)などのインドから伝わった仏は、寺院だけでなく、神社で神もとして祀られているところもあります。

 

福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)は道教の神様であり、布袋尊(ほていそん)は中国実在の禅僧です。恵比寿(えびす)は出雲大社の祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)の子どもと言われてます。

 

それでは、なぜ、七人の神様が構成されたのでしょうか?

 

古代の中国や日本では、「七」という数字が特別であったようです。仏教には、「七難即滅、七福即生」という言葉があります。

 

七難(しちなん)とは、経典によって異なりますが、法華経では、火難、水難、羅刹何(らせつなん)(悪霊)、刀杖難(とうじょうなん)(武器)、鬼難、枷鎖難(かさなん)(投獄)、怨賊難(おんぞくなん)(強盗)のことを言います。

 

七福(しちふく)とは、寿命、有福、人望、清廉、愛嬌、威光、大量(度量が広い大人物であること)のことを言います。

 

この七福の内容に基づいて、七柱の神が選ばれて「七福神」となったと言われてます。(他の説もあります。)

 

宝船に乗っている七福神の姿は、日本人が古代から「幸せは海の果てから来る」の考えが発想にあるようです。

 

江戸時代の中期には、正月はじめの七福神めぐりが始まり、多くの人が7か所の寺院・神社をめぐって、年々増え続けたようです。


ご集印:隅田川七福神(2020年1月4日)
ご集印:隅田川七福神(2020年1月4日)

三囲神社
三囲神社

2020年(令和2年)に選んだ七福神は、東京隅田川の東側(とうきょうスカイツリー直下の向島に点在する「隅田川七福神」です。江戸文化が爛熟期を迎えた文化年間(1804~1817年)に誕生した七福神です。地域内には、歴史を偲ばせる史跡・旧跡・寺社が多くあります。 

 

一番目・二番目に、大國神(だいこくしん)・恵比寿神(えびすしん)が祀ってある「三囲神社(みめぐりじんしゃ)」からスタートです。

 

創建は文和年間(1352~1356年)、本堂左手の社に祀られている大國神(大黒天)、恵比寿神は江戸時代に越後屋(現三越)に祀られていたそうです。

 

一番目の大國神(大黒天)は、大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿がよく知られていており、財宝、福徳開運の神様として信仰されてます。 

 

二番目の恵比寿神は、烏帽子を被り釣竿や鯛を持つ姿が特徴的です。古代の漁民は恵比寿を海の神と考え信仰していたそうです。室町時代以降の商人たちは、恵比寿を商売繁盛に神として祀ったそうです。

 

私の新たな事業の目的は、事業を通して「ひとり一人のより良い豊かな暮らしの実現」ですので、財宝・福徳開運の神様である大國神(大黒天)と商売繁盛の神様である恵比寿神のお力を授かりたく、御祈願いたしました。



弘福寺
弘福寺
咳の爺婆尊像
咳の爺婆尊像
こうふくじの「せき止飴}
こうふくじの「せき止飴}

三番目は、禅宗のお寺「弘福寺」です。金色の布袋尊(ほていそん)像は福々しく、見ているだけで幸福が訪れそうな気持になります。布袋尊は、袋の中の財宝で貧者を救うともいわれ、福運と御利益をもたらす「福の神」と考えられてます。

 

 

布袋尊は、弥勒菩薩の化身といわれ、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたと言い伝えられてます。特に、笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い神様ですので、2020年の我が家の笑門来福、家庭円満、子宝を御祈願いたしました。

 

また、弘福寺には、咳の爺婆尊像(せきのじじばばそん)があります。爺婆像とは、風外和尚禅師自刻の父母石像で、「風外の石像」なので風邪除けのご利益で信仰を集め、「咳の爺婆尊」と言われ、口内にやむものは爺に、咳をやむものは婆に祈願し、全快の祈り、煎り豆に番茶を添え供養する習わしが伝わっているとのことです。

 

咳の爺婆尊への祈願として、こうふくじの「せき止飴」が有名です。私自身が年末から続いてる風邪・咳・痰が止まらず、咳止めの薬を飲んでましたが効き目なく苦しんでおりました。

 

そこに、隅田川七福神で三番目に参った弘福寺に、ご集印を済ませ、ふと横を見ると、こうふくじ「咳止飴」が目に留まり、直ぐに購入し、飲んだところ、2日間で治りました。さすが、風邪除けの信仰は、真実だったと感謝しているところです。

 

 



長命寺
長命寺

四番目は、弁財天を祀っている「長命寺」です。長命寺は、江戸三代将軍家光が鷹狩りの途中の腹痛を、寺内の井戸水で薬を服用したところ快癒したことから、長命水の名をいただき、寺号も長命寺としたといわれてます。

 

長命寺の弁財天は、琵琶湖竹生島弁財天の分身と言われ、琵琶に代わりに武器を備えてます。

 

弁財天は、インドのヒンズー教の川の神で、仏教に取り入れられて知恵の仏とされたそうです。中国に広まると、財運をもたらす仏の役割が強調されたとのことです。日本では、天女の姿をとる場合が多く、弁舌や音楽の神様ともされ、学芸全般の神として信仰されてます。

 

私も、常に新しい知識・知見の習得に勉学・努力が欠かせない日々ですので、学芸の神である弁財天にお力を授かりたく、御祈願いたしました。



向島百花園
向島百花園

五番目は、福禄寿を祀っている「向島百花園」です。向島百花園は江戸時代に開園された都営庭園です。

 

百花園は、文化元年(1804年)佐原菊塢(きくう)が万葉植物など日本古来の草木を集めて造園に始まり、江戸文化を代表する文化人達の発案で隅田川七福神巡りが始まったようです。

福禄寿尊像は、開祖佐原菊塢が百花園の草花にちなみ、本草の神として信仰していたものです。

 

百花園は、四季を通して草花を楽しめる庭園で、特に春と秋は、見ごたえのある花が多く、夜間園内も散策できる東京都内の癒しのスポットです。

 

富と長寿をもたらす福禄寿に、今、取組んでいる事業完遂のために、わが身の寿命を全うできるように、お願いしたしだいです。



白鬚神社
白鬚神社

六番目は、寿老神を祀っている「白鬚(しらひげ)神社」です。隅田川七福神の中で、辺りに寿老人を祀る寺社がなかったが、神社の名前が、長く白い鬚をたくわえた姿にふさわしいことから、長寿老に見立てられたそうです。このことから、隅田川七福神に限り、「寿老人」を「寿老神」と記しています。そのため、像はなく社殿にお参りする形をとっています。

 

寿老神は、福禄寿と同じく中国出身の神様で、道教の思想から出ており、「寿星」を人格化した神様です。寿老神は、手に杖を持ち、その杖には、人の寿命の長さを記した巻物が結びつけられています。鹿をつれていますが、この鹿は深山神のお使いで、3000年の長寿の象徴であるといわれます。人々の安全と健康を守る長寿の神様として信仰されている由縁です。

 

寿老神は、長寿延命、健康の神であり、これからの私の新たな事業には、健康が第一ですので、お力を授かりたく御祈願をいたしました。



多聞寺
多聞寺

七番目は、毘沙門天を祀っている「多聞寺」です。天徳年間(957~961年)創建され、本尊の毘沙門天像は弘法大師によって作られたと伝わっています。

 

多聞寺は墨田区内の最北端にあり、関東大震災、戦災ともに遭わなかったので、昔日の面影を残す数少ない寺院となっています。特に山門は木造茅葺(かやぶき)切妻造四脚門の様式をとるもので、多聞寺に残る唯一の江戸期木造建築であり、区内最古の建造物と考えられます。

 

毘沙門天は、古代インドでは、知恵の神、金運の神、日本では、戦勝の神と考えられ、よろい・かぶとに身を包み、武器をたずさえている勇ましい姿であらわされます。財宝富貴を授けて災難から守ってくれる福の神として信仰されてます。

 

毘沙門天は、私の新たな事業には、ぜひお力を授かりたい神様ですので、厚く御祈願いたしました。

 



徒然のひとこと

とうきょうスカイツリー
とうきょうスカイツリー

 

2020年(令和2年)の七福神は、東京隅田川の東側(浅草の対岸)の向島にある「隅田川七福神めぐり」を選びました。

 

理由の一つに、江戸の歴史は、江戸時代の文化文政年間が江戸庶民が一番生き生きとして生活し、輝いていた時代でもあり、その中心の一つが、現在の江東区・墨田区・中央区の一帯です。

 

私は、江東区の亀戸七福神を皮切りに、日本橋七福神、深川七福神、そして、隅田川七福神と巡って、もちろん、アプリ「大江戸今昔めぐり」の古地図を携えて、江戸と現代を見比べながら、江戸時代当時の町人等の生活に心を偲ばせております。

 

200年前にタイムスリップして、とてもワクワクして、その感動が素晴らしいです。

 

アプリ「大江戸今昔めぐり」は、地形はもちろんですが、当時の町並みの再現と現代の変貌、全く変わっていない道路・水路など、新しい発見がたくさんあります。ご関心のある方は、ぜひ、お試しをお勧めします。

 

次の2021年の七福神は、三区(北区・荒川区・台東区)にまたがる「谷中七福神」に予定しております。江戸最古の七福神をめぐるコースと言われてます。今からワクワクして、江戸今昔めぐりを日々楽しんでおります。